Thursday, December 28, 2006

弾き語り

最近、弾き語りができる人、又は、してる人が、やたらうらやましく思える。ギターを片手に歌う。ただ、歌いたいとか、全然普通の事に感じるかもしれないけど、以外と難しい。

デビューとかお金とか考えずに。ただ、生きるっていうか、歌う事だけをしている人は、潔いし強い。
でも、そういう人間的な欲というか現代社会ではさけるのが困難なものが、原動力に変わって、いい歌を歌う人もいる。

それなのに、僕には何が歌えるか考えても、考えつかない自分がいる。
真剣さが足りないのかもしれない。中途半端なのは解っているのだけど、何を表現したいのか解らない。
あふれる気持ちや、そういう物を殆ど無視に近い状態で切り捨てて来たのか、照れ隠しにずっと閉じ込めてしまっていたのか。
解放させる場所というか、それを向ける場所を見つけられずにいただけだったのか。
もう忘れてしまったのか、僕がそれに気づいてやるのに時間がかかっているだけなのか。

そして、これをこのまま歌う訳にも行かない。僕にとってのクールが存在していない。
でも、そのクールっていうのを取っ払う事にも魅力を感じる事が出来るし。

あなたのキャラクターって何なんだろう。自分のキャラクターって何なんだろう?
型にはめる事をしていないとやっぱり不安なのか。

歌には、内容は実は、関係ないのか?それを聞いて楽しむ人もいるだろうけど、歌詞を最後まで読む人なんて殆どいないし。
元気を貰えるとか、そういうのは、態度そのものの問題なんじゃないか?

歌に込めるメッセージっていうのは、やっぱり難しい。

一貫性がないとやっぱり伝わらないし、本気でないとやっぱりクールじゃない。

カリスマ性、スター性なんていう言葉が生まれるけど、作りだされたものを信じきってしまう客に問題があるのか、それを正義とできない自分が悪いのか。ここで切り捨てるべきなのは、自分は否だと思う部分でないと本心にはならない。

自分に常に真実である事は、やはり大変だ。
自分に対する真実自体が、人からみたらたいした事がなくても歌える人はすごいのかも知れない。

スターの中でも、偽りの自分を売り出し続けて何も思わない人が居るのも悲しい。
売れる為なら何でも出来る人が居るのも悲しい。
そんな人がこんな文を読んでも、”は?”と思うくらい歪んでいてしまっている人も居るんだろうと思うと悲しい。
ほんとうに歌いたい人に失礼だとか思わなずに、「現実とはそんな物」で片付け手しまう人も悲しい。
「現実」があるんですとか、「現実」を見失うなとか、それ自体は意識はしないといけないのかもしれないが、すべてじゃない。
もっと色々な何かがあるはずなのに、常に閉じてしまう言葉として使うのは絶対にいけないと思う。

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